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타자에 대한 시선과 동아시아 인식 - 시라토리와 나이토의 언설을 중심으로 -他者に対する視線と東アジア認識 - 白鳥と内藤の言説を中心に -

Other Titles
他者に対する視線と東アジア認識 - 白鳥と内藤の言説を中心に -
Authors
신현승
Issue Date
2010
Publisher
단국대학교 일본연구소
Keywords
他者(Other Beings); 동아시아(East Asia); 白鳥庫吉(Shiratori Kurakichi); 内藤湖南(Naito Konan); 인식(understanding); 他者(Other Beings); 동아시아(East Asia); 白鳥庫吉(Shiratori Kurakichi); 内藤湖南(Naito Konan); 인식(understanding)
Citation
日本學硏究, v.30, pp.107 - 131
Indexed
KCI
Journal Title
日本學硏究
Volume
30
Start Page
107
End Page
131
URI
https://scholar.korea.ac.kr/handle/2021.sw.korea/118222
ISSN
1598-737X
Abstract
自己正体性(self-identity)の確認と定立は、自己の内部での認識よりも他者による強烈な衝撃と視線によって行われることが多い。その結果、自分のアイデンティティの混沌や、確固たる定立にあらわれることもある。19世紀後半の東アジア地域は、自分のアイデンティティの混沌の中に陥って一大修羅場の自己認識の状態に陥没されており、他者認識の確固たる定立が不可能な状況であった。そこでは、日本近代の知識人たち―この論稿では、特に近代日本の東洋史学者たち―は、他者認識の新しく確固たる定立を目的としていた。その結果、日本を中心とした新しい近代的な歴史学[東洋史学]の定立が、日本の両大学術界を代表する東京大学と京都大学から出現した。その代表者は、それぞれ東京大学の白鳥庫吉(1865-1942)と京都大学の内藤湖南(1866-1934)であった。結局、白鳥と内藤の場合は、それぞれ「文化」という視点を持って、中国文化の解体と再構成を試みていたといえよう。その中で、白鳥は、言語文化学的あるいは比較言語学的方法によって、内藤は、文化史的な方法によって中国文化に対する解体を図っていたのである。しかし、白鳥の「言語文化学的東アジア観」と内藤の「文化史的中国論」は、ドイツの哲学者であるニーチェ(Nietzsche、1844-1900)の反理性主義ないしは、「反形而上学的」假定を連想させる。
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