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요하문명과 고조선의 실체

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DC Field Value Language
dc.contributor.author김채수-
dc.date.accessioned2022-01-01T03:40:36Z-
dc.date.available2022-01-01T03:40:36Z-
dc.date.created2021-08-31-
dc.date.issued2012-
dc.identifier.issn1598-4990-
dc.identifier.urihttps://scholar.korea.ac.kr/handle/2021.sw.korea/133924-
dc.description.abstract本論文は「古朝鮮」の実体的解明を目的とする。筆者はその目的を果たすに当たってこれまでのナショナリズムの視角やリジョナルリズムの視角の限界を克服するための一方策としてグローバリズムの立場をとって南の黄河文明、中央アジアのアルタイ文明、西アジアのメソポタミア文明などに関連させてて遼河文明を背景にして成立した‘古朝鮮’の実体的解明を試みた。その結果は次のように整理されることができる。筆者はこれまでのナショナリズムの視角やリジョナルリズムの視角の限界を克服するための一方策としてグローバリズムの立場をとって南の黄河文明、中央アジアのアルタイ文明、西アジアのメソポタミア文明などに関連して遼河文明を背景にして成立した‘古朝鮮’」の実体的解明を試みた。その結果は次のように整理されることができる。‘檀君朝鮮’は西アジアのメソポタミア地方、中央アジアのアルタイ地域などから初期青銅器文化が伝播され、それが遼河地域での前期青銅器文化(2500〜1200、BC)に定着していく過程で成立してきた。民族的にはそれがアルタイ山脈․ハンガウィン山脈以北のバイカル湖․黒龍江․松花河流域等の出身の熊トーテム民族である穢族を先住民にして、南シベリアエに位置している東アジア․アルタイ地域․モンゴル地域などへと繋がっている北方草原地帯の草原路を通じて伝播された初期青銅器文化の洗礼を受けて形成された 貊族 を侵入勢力として形成された人間集団であったと考察される。政治的には、それが西側の遊牧民出身であった貊族を支配民族にして、先住民の狩猟․漁撈民であった穢族を被支配民族にして、前期青銅器文化が形成された時点、すなわち 三国遺事 の著者一然が言った紀元前2300年頃を前後して建立された古代国家であったと考察される。‘古朝鮮’は、全期の‘檀君朝鮮’と後期の‘穢貊朝鮮’に両分される。前期の‘檀君朝鮮’は、大同江流域の平壌地域で形成されたのではなく遼河地域の大凌河の上․中流域に位置する朝陽一帯で出現した政治的団体であると把握される。だから、それの政治的中心地は大凌河上流にある牛河梁遺跡の近くに住んでいた熊トーテム民族を主軸にして朝陽一帯で形成され、中原地域で夏(成立2070年頃)が設立される以前に遼河地域の濼河下流の白岳山地域に南下していたものと考察される。その後、‘檀君朝鮮’は、中原地域で紀元前18世紀頃に遼河地域から南下した東夷族が建国した 商王朝(1766〜1122、BC)と長期間南北に並立して行った。そうしていくうちに商が西アジアからの鉄器文化の伝播を背景にして中原地域で出現した華河族が商を崩し周王朝(1122〜256、BCを設立した。それがきっかけになって、中原文化が遼河地域へと北進するようになった。そのような政治的状況に法って、‘檀君朝鮮’の場合も再び原出現地である朝陽一帯へと戻っていくことになった。‘檀君朝鮮’は朝陽地区の近くの藏唐京、つまり今の阜新という地域に政治的な中心地に移転させた。‘古朝鮮’はこのような政治的中心地の移動を契機として、‘檀君朝鮮’より‘穢貊朝鮮’に転換した。このような転換は貊族を支配層とした‘檀君朝鮮’の政治的中心地が当時穢族の居住地であった中流と遼河中流の間に位置していた藏唐京地域への北上をきっかけにして行われたものだった。‘穢貊朝鮮’は、その地域で濼河の下流地域にある箕子朝鮮と近10世紀間対峙していた。そうしていくうちに、それは最終的に漢武帝が箕子朝鮮の後身衛満朝鮮を滅亡させた、その翌年である07年に滅亡したものと考察されるこのように‘古朝鮮’は遼西地域で前期青銅器文化が形成していくる過程で、‘檀君朝鮮’という形で、紀元前2300年頃に遼河地域の大凌河の上․中流域で出現した。それでまたそれは、中原地域における商․周の交替期には、それが大凌河の中流域と遼河中流の間の藏唐京地域で‘穢貊朝鮮’に転換していき濼河の下流地域の箕子朝鮮と対峙して行ったものと考察されているのだ。-
dc.languageKorean-
dc.language.isoko-
dc.publisher고려대학교 글로벌일본연구원-
dc.title요하문명과 고조선의 실체-
dc.title.alternativeThe Civilization of Liaohe and the Reality of Old Chosun-
dc.typeArticle-
dc.contributor.affiliatedAuthor김채수-
dc.identifier.bibliographicCitation일본연구, no.18, pp.305 - 337-
dc.relation.isPartOf일본연구-
dc.citation.title일본연구-
dc.citation.number18-
dc.citation.startPage305-
dc.citation.endPage337-
dc.type.rimsART-
dc.identifier.kciidART001691690-
dc.description.journalClass2-
dc.description.journalRegisteredClasskci-
dc.subject.keywordAuthorOld Chosun-
dc.subject.keywordAuthorTankun Chosun-
dc.subject.keywordAuthorKiza Chosun-
dc.subject.keywordAuthorTankun Myth-
dc.subject.keywordAuthorKojiki Myth-
dc.subject.keywordAuthorJomon Earthenwarw-
dc.subject.keywordAuthorMichiyo Naka-
dc.subject.keywordAuthor古朝鮮、檀君朝鮮、箕子朝鮮、檀君神話、『古事記』神話、縄文土器、那珂道世-
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College of Liberal Arts > Department of Japanese Language and Literature > 1. Journal Articles

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