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제국주의 이전 시기 일본의 여행 담론 -가토 기요마사의 오랑카이, 미나모토노 요시쓰네의 북고려-『前帝國主義』の日本における旅言說

Other Titles
『前帝國主義』の日本における旅言說
Authors
김시덕
Issue Date
2010
Publisher
한일군사문화학회
Keywords
加藤清正; 源義経; 壬辰戦争; オランカイ; 北高麗
Citation
한일군사문화연구, v.10, pp.175 - 187
Indexed
KCI
OTHER
Journal Title
한일군사문화연구
Volume
10
Start Page
175
End Page
187
URI
https://scholar.korea.ac.kr/handle/2021.sw.korea/117877
ISSN
1598-8732
Abstract
この論文では、『朝鮮太平記 』の作者・馬場信意の蝦夷戦争文献群である『義経勲功記 』を取り上げて検討する。特に、加藤清正のオランカイ侵略や、源義経の北高麗渡りをめぐるエピソードが象徴する、冒険の旅としての特徴を中心として分析する。壬辰戦争言説における加藤清正のオランカイ挿話に関しては、様々な議論が行われてきたが、それが『朝鮮太平記』に盛り込まれることはなかった。『 朝鮮太平記 』所収の挿話は、先行する壬辰戦争文献群の記述に忠実に従っている。馬場信意は、琉球国に関しては、剽窃に近い手法で『異称日本伝 』所収の琉球国関連記事を採り入れて、壬辰戦争文献群の諸文献には見られない、豊富な内容を『朝鮮太平記』に盛り込んだのである。なのに、松前からの漂着民やオランカイのことを述べながら、源義経や蝦夷のことには全く触れていない。そして、『朝鮮太平記』の7年後に刊行された『義経勲功記』には義経入夷説を詳細に述べているのである。このような状況から、馬場信意が義経入夷説に関する具体的な情報を入手し、執筆に利用することを決心したのは『朝鮮太平記』(1705年刊)と『義経勲功記 』(1712年刊)との間の7년間であったということが推測される。この間には、義経入夷説やシャクシャインの戦いのことを扱った『蝦夷談筆記』(1710)が成立しているが、この種の文献が馬場信意を刺激したのではなかろうか。一方、 義経勲功記 には北高麗という地域をめぐる議論が一切見られない。『 義経勲功記』 における作者の関心は蝦夷地にとどまり、蝦夷地の背後に広がる北アジア大陸の情勢には無関心であった。日本をしてこの地域の情勢に注目せしめた、ロシアの南下という状況は、18世紀の初め頃までは、ほとんどの日本人に知られていなかったことを意味するものと思われる。
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College of Liberal Arts > Center for Japanese Studies > 1. Journal Articles

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