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日本律令國家의 變容에 대한 일고찰 - 간무(桓武)천황의 가타노(交野) 행행(行幸)을 중심으로 -日本律令國家の變容に關する一考察 ― 桓武天皇の交野行幸を中心として ―

Other Titles
日本律令國家の變容に關する一考察 ― 桓武天皇の交野行幸を中心として ―
Authors
송완범
Issue Date
2010
Publisher
단국대학교 일본연구소
Keywords
일본율령국가(Japanese Ritsuryou State); 桓武天皇(Emperor Kammu); 行幸(Emperor' s visit); 백제사(Temple of Paekche); 遊獵(shikar); 天神(sky god)
Citation
日本學硏究, v.31, pp.107 - 126
Indexed
KCI
Journal Title
日本學硏究
Volume
31
Start Page
107
End Page
126
URI
https://scholar.korea.ac.kr/handle/2021.sw.korea/117990
ISSN
1598-737X
Abstract
桓武天皇が奈良時代以降百済王氏の集団居住地であり本拠地でもあった交野に頻繁に行幸したことについて注目する必要がある。中國的律令國家体制の確立や絶対的な天皇観に執着する桓武天皇であったからこそ行幸が多かったのかはわからないが, そのほとんどが河内國交野郡の百濟寺の周辺だったという事實は何を說明しているのだろうか。このような事實は今までとは全く異なる觀点から百濟王氏と桓武天皇との關係に接近することが可能であろう。それで桓武天皇の交野への行幸を百濟寺․遊猟․百濟楽․天神祭祀などをキーワードとして各々の意味について調べることにする。本稿では桓武天皇と百濟王との蕃國的要素、すなわち華外的要素に焦点を會わせることができた。交野への桓武天皇の行幸とは結局, 遊猟と百濟楽という本來としては百濟王が王室の権威を誇るため行った一種の統治行爲であったのを百濟王氏を借りて桓武天皇自らが成し遂げることによって当時の日本律令國家の「小中華意識」を表明する場として活用したものと思われる。百濟王氏の協力のもとで桓武天皇は百濟寺を中心として遊獵を行い、百濟王氏の本據地を訪問し、百濟樂や百濟舞の歓迎をうけ百濟王氏らに對して叙位と任官, そして天神祭祀を行うなど統治行爲としての儀礼を實現したのである。以上のことなどは日本律令國家の「小中華意識」の表明にほかならないものであったといえる。
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College of Liberal Arts > Korea University Global Institute for Japanese Studies > 1. Journal Articles

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Song, Whan bhum
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