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1850년대 諸藩의 海防참여와 幕藩체제의 동요― 나가사키‘해군’전습 참여기준논의와 실제참가사례 분석을 중심으로 ―Participation in the Sea of Various Clans in the 1850s and upset of the Shogunate System - Focusing on Analysis of Nagasaki “Navy” Discussion on Naval Defense over Participation and Participation Examples-

Other Titles
Participation in the Sea of Various Clans in the 1850s and upset of the Shogunate System - Focusing on Analysis of Nagasaki “Navy” Discussion on Naval Defense over Participation and Participation Examples-
Authors
김연옥
Issue Date
2017
Publisher
동양사학회
Keywords
海防; 幕藩体制;  阿波藩; 土佐藩; 津藩; 鯖江藩; 川越藩; 田原藩; 해방(海防); 막번체제 동요; 나가사키 ‘해군’ 전습; 아와번; 도사번; 쓰번; 사바에번; 가와고에번; 다하라번; Marine defense; Upset of the shogunate system; Nagasaki Navy Denshu; AWA-clan; TOSA-clan; TSU-clan; SABAE-clan; KAWAGOE-clan; TAHARA-clan
Citation
동양사학연구, no.140, pp.495 - 530
Indexed
KCI
Journal Title
동양사학연구
Number
140
Start Page
495
End Page
530
URI
https://scholar.korea.ac.kr/handle/2021.sw.korea/132244
DOI
10.17856/jahs.2017.09.140.495
ISSN
1226-1270
Abstract
江戸幕府は諸大名の參勤交代や大船製造の禁止、キリシタン厳禁のような規定を定めた武家諸法度を通じ大名勢力を牽制しつつ中央統率力を高めようとしていた。しかし、いわゆる「西洋の衝撃」と呼ばれるペリー来航(1853年)を契機に、江戸幕府の根幹ともいうべき諸禁令を幕府みずからの手で変更せざるを得なくなり、西洋の軍事技術を本格的に受容する方向に舵を切った。具体的には大船製造解禁や西洋砲術専一化の方針を掲げ、講武所ㆍ蕃書調所ㆍ長崎「海軍」傳習所ㆍ軍艦操練所を設立し、人材育成に力を注いだ。とりわけ長崎でオランダ教官を招いて指導を受けた「海軍」傳習は、外国人から直接教育を受ける点においても、幕臣と陪臣が共に教育を受ける点においても先例のない破格的な措置であった。本稿は、長崎伝習を「幕府と諸藩が共有していた学習場」と位置づけしてきた先行研究とは異なる視座で究明することを目的とする。本稿で分析した諸藩の事例(阿波ㆍ津ㆍ土佐ㆍ鯖江ㆍ川越ㆍ田原藩)を通して見い出した結論は次の通りである。 諸藩の参加承認をめぐっては海防掛内部でも目付方と勘定方の意見が齟齬していた。目付方は基本的に海防業務に意欲的に参加している藩であれば、伝習参加を奨励すべきであると考え、諸藩の伝習参加が広まれば日本全国の海岸防備力の強化にもつながるものと見込んでいた。一方、勘定方は参加目的が自領の海防のためであれば頑固反対し、なお幕府伝習生の学習に支障をきたす恐れがあることを懸念し、諸藩の参加を極力阻止もしくは制限しようとしていた。 諸藩に伝習参加は出願時期とその分野によっても承認の可否が異なっていた。1857年3月頃は幕府伝習生の第一期の伝習がひと段落された時期であった。よって諸藩からの参加申請が1857年3月以降であった場合、その以前の事例に比べて、比較的スムーズに許可される傾向がみられる。また伝習分野も幕府が普及を奨励していた西洋砲術関係であれば難なく許可されたが、蒸気船運転や軍艦製造のような西洋式海軍の「核心」分野である場合、とくに勘定方の猛反対により申請が却下される傾向が確認される。 以上の幕府内の様々な議論から浮かび上がる幕府の真意は、諸藩に幕府の藩屏として海防の任務を担わせつつ、諸藩(特に外様藩)が独自に海軍力を強化していくことは警戒しよとしていたものと言えよう。また、諸藩に比べ西洋軍事技術を習得した幕臣が少ない現実にも焦っていたことも垣間見られる。
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