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역사 인물의 문예화 -미나모토노 요리이에(源頼家)를 중심으로-Study on Literature of historical figures – Focused on Minamotono Yoriie -

Other Titles
Study on Literature of historical figures – Focused on Minamotono Yoriie -
Authors
편용우
Issue Date
2015
Publisher
한국일어일문학회
Keywords
미나모토노 요리이에(Minamotono Yoriie); 가부키(Kabuki); 오카모토 기도(Okamoto Kido); 마야마 세이카(Mayama Seika); 쓰루야 난보쿠(Turuya Nanboku); 지카마쓰 한지(Chikamatu Hanji)
Citation
일어일문학연구, v.95, no.2, pp.365 - 380
Indexed
KCI
Journal Title
일어일문학연구
Volume
95
Number
2
Start Page
365
End Page
380
URI
https://scholar.korea.ac.kr/handle/2021.sw.korea/95499
DOI
10.17003/jllak.2015.95.2.365
ISSN
1226-2552
Abstract
本論考は、鎌倉幕府の二代将軍源頼家という歴史の人物が近世と近代の演 劇における描写を分析し、歴史的人物の文芸化過程を明らかにすることを目 的とする。 まず『吾妻鏡』の記事の中から頼家の歴史事実が確認できる箇所を分析し た。『吾妻鏡』は、頼家を将軍の職から追い出した北條家の立場が反映され た歴史書である。それにより『吾妻鏡』における頼家は、失敗した為政者として描かれている。 次に、近世時代の浄瑠璃『近江源氏先陣館』と歌舞伎『例服曾我伊達染』 の頼家の描かれ方を分析した。前者は豊臣秀頼の実名を用いることができな かった当時の状況を反映した結果であり、後者は七代目市川団十郎の芸を特 徴が現れた結果である。両作品における頼家という人物は、短編的な歴史の 事実を利用しながらも、別人のイメージを取り混ぜ、放蕩で短気な性格に なったと思われる。 最後に近代の『修禅寺物語』と『頼朝の死』における頼家のイメージを分 析し、前者が優しさと短気という正反対の性格の人物で、後者は父頼朝の不 審死を悩みつづける人物であることを確認した。前者の作者である岡本綺堂 は、英文学を習って新文物に委しい人ではあったものの、幼い頃から歌舞伎 劇場に出入りし、歌舞伎の評論を担当する記者であったので、旧歌舞伎にも 精通していた。その結果『修禅寺物語』の頼家は、近世時代の頼家像に近 い。それに比べて後者の作者真山青果は、自然主義小説家として登壇し、事 実に立脚した人間心理描写を専らにした。それが『頼朝の死』の悩み続ける 頼家像を造ったと思われる。二人の作者としての出発点の違いが、両作品に おける頼家の描写の違いを作ったのである。
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College of Liberal Arts > Korea University Global Institute for Japanese Studies > 1. Journal Articles

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