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上原 육군대신의 사퇴와 사단증설문제上原 陸軍大臣の辞退と師団増設問題

Other Titles
上原 陸軍大臣の辞退と師団増設問題
Authors
조명철
Issue Date
2010
Publisher
고려대학교 역사연구소
Keywords
사단증설문제; 육군; 조슈파벌; 우에하라 유사쿠; 다이쇼정변; 하라 다카시; 사이온지 긴모치; 제국국방방침; 가쓰라 타로; 데라우치 마사타케; the Increase of Division; the Military; the Faction of Choshu; Uehara Yusaku; Taisho Political Change; Hara Takasi; Saionji Kinmochi; the Policy of Imperial Defense; Kastura Taro; Terauchi Masatake
Citation
史叢(사총), no.71, pp.343 - 368
Indexed
KCI
Journal Title
史叢(사총)
Number
71
Start Page
343
End Page
368
URI
https://scholar.korea.ac.kr/handle/2021.sw.korea/134630
DOI
10.16957/sa..71.201009.343
ISSN
1229-4446
Abstract
本論文は日露戦争後、師団増設を通して軍備を強化しようとする陸軍とそれを抑制して財政と行政との費用を節減しようとする政友会内閣との対立を検討した。陸軍は1906年には19師団体制を整えたが、またその上に2個師団の増設を要求した。こうした要求の根拠には帝国国防方針で定められた25個師団という基準があった。こうした2個師団の増設案は1910年、韓国が強制併合されるようになってから朝鮮2個師団増設案として弾力を受けてより強く提議された。陸軍の朝鮮二個師団増設案を担っていた人物は1912年4月陸軍大臣へ就いた上原勇作であった。上原は内閣の反対や世論、経済界の反対をものとせずに終始朝鮮2個師団増設案を強く主張して師団増設問題を内閣の生死の関わった深刻な政治問題に拡大させた。こうして師団増設問題は西園寺内閣を窮地の追い込んで選択の余地のないところに行った。結局、上原が辞退を選択することによって西園寺内閣は余儀なく総辞退してしまった。この事件は陸軍の力を世に見せつけることのように見えたが、実は陸軍の暴走に対して国民の反発を招くことになった。こうした国民の世論は陸軍や藩閥政治を拒否してより民主主義的なエネルギになって大正政変を起こした。
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College of Liberal Arts > Department of History > 1. Journal Articles

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